
1986年、三重県桑名市の隣町、員弁郡東員町にて先代山本勘太夫(哲夫)の長男として生まれる。旅仕事である大神楽師の家元に生まれた影響で、父親と過ごす時間は多くなかったが、毎年奉納される桑名市『増田神社』での総舞を通じ、放下芸や獅子舞に馴染みを持って育つ。中学高校時代は、休みを利用し滋賀県の回檀に帯同するなど、大神楽師という職に理解は示しつつも、世襲制の古典芸能に対する「競争や発展がなく封建的」といった先入観から自身が職にする意識はなく、幼い頃からの夢であった出版業界を志し大学への進学を選択する。大学では経営学を学び在学中に提出した論文『スポーツ倫理学』では「極限の競争の中にも倫理有り」を提唱し、着眼点の独自性が評価され大学で優秀論文として表彰を受けた。

しかし、大学在学中に、NHKで放送された伊勢大神楽のドキュメンタリー番組を見た事で心境が変化する。家元筋の大神楽師であっても芸能者として成功が約束されている訳ではなく、多くの若手が切磋琢磨し明確な実力競争が存在している点や、日々の御祓い回りをこなしつつ宿舎で放下芸の稽古に精進するという過酷な日常風景を目の当たりにし、「大神楽の道が、これ程に困難で奥深いものならば、大学からの就職を擲ってでも挑戦したい」と入門の意志を固める。

入門を志願した後の約1年間は、傍ら大神楽の稽古に日々精進し、放下芸や囃子の基礎技術習得に時間を費やした。また、本拠地である『増田神社』への定期参拝や宗家山本源太夫氏による講話を通じて、神道家としての礎を築いていった。

また、芸能をより広義に捉えるため、各地の民俗芸能研究者・伝承者と独自に交流を深め、それらを元に外部への情報発信を行うなど、内外部問わず精力的な活動を行っている。


大神楽師(家元/放下師/道化師/法人代表理事) 山本 勘太夫 1986年生まれ
Kandayu Yamamoto
